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日本版LNDも気に入りました


by yukituri

ヴォルフガングが逃れたい 「影」 って? < Mozart!

下の授業話の続き。"Mozart!"の "Wie wird man seinen Schatten
los?" 「影を逃れて」、なぜか「僕こそ音楽」とかを差し置いて Joysound のカラオケに入ってるので、前回私が試しに歌ってみたら、「内容がなかなか深くて気に入った」 とか。

で、センセが言うには、ヴォルフガングがどうしたら逃れられるのかと繰り返し歌う、自分の 「影」 とか 「運命」 というのは、「教会」 (やそれに指導された社会) だって! こちらが 「この作品にはアマデというヴォルフガングの才能の化身? みたいな幻想の少年がいて、彼を最後には殺しちゃうように見える、云々」 と解説したんだけど、それでも。

「一つの解釈だよね」 と私が言ったら 「ヨーロッパ人なら大体そう思うはず」 と主張。何でも中世~近世の教会の教えというのは今よりずっと拘束的で、あるべき姿からたどるべき運命まで全部、教会の言う通りにしなければ、という強い圧力にモーツァルトもずっと悩まされていたはず、とか。確かに、"Was soll mir die Unsterblichkeit?" (不死なんて僕にとって何だ)って歌詞は、これはキリスト教の教える天国のことかも、と私も思った。

それにしても。「影を逃れて」 の日本語版では、コーラスが 「子供の姿で」 と歌ったりするし、はっきりアマデを指してる気が。いつも影のように張り付いてるし、運命運んでくるし、それ以外ありうるとは思ってもみなかった…

ちなみに、コロレド大司教が 「我々を進歩させるはずのもの」 と歌う "Ein-sicht" "Kritik" "Vernunft" (洞察、批判、理性) も、(センセの主張では) 教会の教えに沿ったもの、それだけ!!なんだとか。日本語だけ見てたら、すごく近代的批判精神に聞こえるんだけど、逆なのか…(^_^;?

かなりキリスト教 (特に歴史上の) への批判が強い人だし、ヨーロッパ人がみんな、というのが正しいかは分からないけど、興味深かった。
by yukituri | 2007-01-24 20:27 | 海外 Musical 話題